引越し貧乏と言う言葉があります。

引越しのし過ぎは、余計な出費がかさむために出来た言葉でしょう。

私も生まれてから幾度も引越しを重ねて来ました。

少し私の引越し人生を振り返ってみます。

引越し貧乏のスタートは父の転勤から

私が生まれたのは、沖縄県那覇市古波蔵。

当時、父は国家公務員の裁判官でした。

国家公務員なので、全国転勤があります。引越し貧乏

しかし、当時は沖縄の特殊事情で転勤はまだ未経験でした。

そう、沖縄はアメリカの占領下にあったのです。

私が生まれた時、アメリカの統治下でしたので私はアメリカ国籍だったのかと長年思っていましたが、確認したところ、当時は琉球政府が復活していて、琉球政府を支配する形で琉球列島米国民政府があったそうです。

琉球政府は日本とは切り離されていたため、パスポートが必要であり、父は司法修習を受けるにも琉球政府からの留学生みたいな処遇で研修に行っていたそうです。

1972年5月14日に沖縄は日本に復帰しました。

それと同時に父は福岡に転勤になりました。私が小学校2年に上がったばかりの5月の出来事です。

この転勤をきっかけに私の引越し人生がスタートしました。

沖縄から福岡へ、この転勤、私にとっては転校ですが、人生初の体験であり、最初の壁は言葉の問題でした。

引越しで困ったのが言葉の問題

子供と言うのは残酷なもので、思ったことをズバズバ言われます。

「言葉が変」と言われ、何度もからかわれ、子供の時の私は非常にキレやすい性格でした。

今から思うと、私が言い返したり、喧嘩をしたので、いじめにあわずにすんだのでしょう。

しばらくすると一目置かれるような存在になっていました。

でも、子供心に言葉が変であることは自覚し、非常に話をするのが億劫な人間になっていました。

言葉の問題はその後の引越しにもついて回りました。

沖縄の言葉はイントネーションが独特で、子供心にかっこ悪いと思ってしまってました。

ウチでは沖縄なまり、学校では九州弁にと、どんどん順応していきました。

福岡には3年いただけで、その後、父は佐賀に転勤になりました。

官舎が一軒家というだけで子供心に佐賀転勤はワクワクしたことを覚えています。

佐賀と福岡も微妙に言葉が異なります。

結果的に佐賀には8年間住みました。

小学校5年生から高校卒業までと思春期の真っ只中を佐賀で育ったことになります。

おかげで佐賀弁もしっかりマスターし、佐賀にすごく溶け込めたと思います。

言葉の問題はようやくクリアしたと思いました。

引越し貧乏人生の再スタートは、私の自立でした。

私が高校卒業をすると同時に、父は沖縄への転勤が決まり、実家が沖縄へ引越し。

私は浪人の為に予備校へ通うことになりました。

私が行ったのが福岡にある河合塾予備校。私はこちらの新築ピカピカの天神寮に1期生として入寮しました。

寮は西鉄の線路沿いにありましたが、初めての一人暮らしに胸をときめかせ、勉強というより社会勉強を優先させる受験生ぶりでした。でもおかげで楽しい浪人時代を過ごしました。

ここまでで、引越しは三回を数えていました。

一年後、私は大阪の関西大学に行くことにしました。

引越し貧乏今度は四回目の引越しで大阪行きです。

引っ越したのは学校の目の前、阪急北千里線の関大前駅から3分のぼろアパートが新居です。

田舎育ちなんですが、私には東京志向がなく、大阪への憧れが強かったです。

なぜなら好きな球団が阪神タイガース。吉本新喜劇がとっても好きで、大阪弁への憧れがありました。

ワクワクした気持ちを抑えながら、やってきた大阪。でも、やはり田舎者はかくせず、上阪して大阪駅に到着したとたんに眺めた高層ビル群。アクティ大阪や阪急グランドビル、大阪駅前ビルの行列に、思わず感嘆の声を上げ、見上げすぎて首が痛くなるほどでした。

また、大阪に到着したとたんに詐欺にあい、持ち金5万円をすべてとられるという事件にもあいました。

おまけに、入学早々、憧れの大阪弁への順応という言葉の問題が復活しました。

せっかく習得した佐賀弁が急に色あせ、田舎くさい言葉が恥ずかしく、言葉をバカにされた経験がよみがえり、私はまたもや引っ込み思案になってしまいました。

引越し貧乏へ怒涛の引越しラッシュ

それでもようやく大阪の生活にも慣れ、学校はそっちのけで自宅は雀荘状態。

この状況を打破するために学校から少し離れた同じ大阪の豊中へぼろアパートからぼろアパートへの五回目の引越しでした。

今度は阪急宝塚線の服部駅が最寄り駅です。

ココを皮切りに大阪の西梅田、兵庫県姫路市、滋賀県長浜市、草津市、八日市市、兵庫県神戸市、京都市南区、京都市西京区上桂、次も京都市西京区桂。ココまでで何回でしょう。14回ですね。

15回目の引越しが持ち家の購入で、ココも京都市西京区桂でした。引越し貧乏

これでいよいよ引越し人生も終わりかと思いましたが、結婚生活がうまくいかず、数年後に16回目の引越し。

これが同じ京都市西京区桂、それから大阪市城東区、東京都足立区、兵庫県神戸市、大阪市福島区、沖縄県那覇市、沖縄県浦添市、同じくうるま市と合計23回ですね。

一生の中でこれだけ引越しをするとは私も考えていませんでした。

まるで遊牧民族。

引越しのたんびにお金がかかることは想像できるかと思います。

引越し代金のほかに家具や電化製品をそろえなおしたり、回線を引きなおしたり、目に見えない出費もかさみます。

本土から沖縄に引越しする際は、特にお金がかかりました。

大きな家具や電化製品は引越し代を考え処分しました。

引越しはヤマト運輸の家具・家電配送サービスを利用し、テレビと大き目のプリンターだけを運びました。

あとの荷物は大きなダンボール5つにまとめて、日本郵便のゆうパックで運んでもらいました。

あとは、フェリーのバイク輸送で原付バイクを輸送しました。

その為引越し料金は最低限で抑えられました。

冷蔵庫、洗濯機、電子レンジの家電の三種の神器は、沖縄で購入しました。

古いものを高い輸送費で送るよりも新しいものを買った方がいいからとの判断でした。

沖縄移住してからようやく落ち着いたかと思ったら、一年の間に沖縄で三回引っ越しました。
引越し貧乏まだまだこれからも引越し人生は続くかもしれません。

金銭的に引越し貧乏にどんどんなってはいきますが、いろいろな土地でいろいろな人と出会い、縁や経験という資産はどんどん増えていっていると思っています。

生まれてから一度も生まれた街を動かず、旅行もせず、亡くなっていく人もいるなかで、今より広い世界に出たという経験は資産になると思います。

まあ世界中を旅していたり、世界中を遊牧したりしている人よりまだまだ経験不足ですが、引越し貧乏は資産を作ることができると思っています。

これからも私の遊牧生活は続くかもしれません。