高知観光 坂本龍馬の土地をめぐる旅1

高知観光も2日目。朝はホテルナンバーワン高知でのモーニングブッフェから始まりました。

非常にリーゾナブルな料金でモーニングを堪能し、まず向かったのが武市半平太道場と邸宅跡。

そこは閑静な住宅地の小さな公園にありました。

実際の場所は違うところだそうですが、武市が土佐勤王党を結成することになる道場の跡には少々興奮しました。

武市半平太道場と邸宅跡

武市半平太道場と邸宅跡

 

その後、龍馬がうまれた町周辺に戻り、日根野道場跡に行きました。

日根野道場は龍馬が幼少の時に剣を習った場所。

この剣の力が龍馬の行動の背景にあったと思うのですが、それにもかかわらず、用水路のふもとに小さな、小さな立札が建っているのみでした。

日根野道場j跡

 

それから土佐藩の子弟が学んだ致道館。

門が当時のまま残されていました。

今は県の武道館になっているようで、時を経て剣道をしている元気な子供たちの声が外まで響いていました。

致道館

致道館高知県武道館

 

その後、僕たちは高知市から桂浜方面へ車を走らせ、途中にある自由民権会館を訪問しました。

言わずとしれた自由民権運動家の板垣退助をはじめとする明治初期に起きた自由民権運動の記念館です。

自由民権会館

 

自由民権運動は私の記憶では、明治維新後に成立した維新政府は、理想であるハズが薩長による藩閥政府になってしまい、これでは幕府が薩長に変わっただけであると疑念を抱いた板垣退助が、野に下り、土佐に帰って起こした自由民権を獲得するための運動です。

幕末の動乱期に幕府を倒した後の理想を誰も持ってなかった時に坂本龍馬が理想とした国家像を提示したのが船中八策。

そこには米の自由と民主主義を模した制度設計があり、それが五カ条のご誓文につながったのですが、実際には薩長による独裁になってしまった。

そのため、龍馬が生きていたらこんなことにはならなかったであろうと嘆いた板垣が、国民の政治への参加を呼びかけたのが始まりでした。

板垣をはじめ、土佐では多数の結社が生まれ、主に弁論会と活字によって情報発信がされていたようです。

弁論会は政府の弾圧も受けながらだったそうで、現代日本においては自由な言論が許されている分、彼らのように弁論会や活字による情報伝達が有効であり、僕たちも頑張らねばとモチベーションがあがったのでした。

ただ、自由民権会館に貼られているポスターや催しが左派によるものと思われ、自由民権運動が左派に利用されていることが残念に思えました。

自由民権運動は反政府活動ではありましたが、弾圧や独裁に立ち向かう健全なリベラル活動であり、現代左派運動とは全く相いれません。

なぜなら、現代は国民は政治参加の権利を与えられていますし、政治家を選び、間接的に政府は国民の代表として選ばれているためです。

従って現代における反政府とは、自ら選んだ政府を否定する、すなわち反民主主義と同義となるためです。

そんなことも分かっていないような左派集会がこの会館で開催されていることに、板垣退助をはじめとした命がけで自由を求めた自由民権運動家たちは草葉の陰でどのように思っているだろうかと、なんだか情けなく感じました。

自由民権会館

自由民権会館内部

 

いよいよ桂浜へ

自由民権会館を出ると車を南に走らせ、いよいよ桂浜方面へ。

桂浜は龍馬が仲間と宴会をしたり、軍艦で土佐藩を脅したという砂浜。

お昼になったので、まずは腹ごしらえ。

桂浜を見下ろす高台に建つ国民宿舎桂浜荘のレストランで食事をしました。

この桂浜荘は立地がいいからか国民宿舎なのにべらぼうに高級なんです。

隣接した場所に坂本龍馬記念館があるのですが、ここは現在、改装工事中で残念ながら入れませんでした。

国民宿舎桂浜荘

国民宿舎桂浜荘レストラン

坂本龍馬記念館

工事中の坂本龍馬記念館の塀に龍馬の名言。

国民宿舎桂浜荘からみた桂浜

 

食事を終え、いよいよ桂浜へ向かいました。

桂浜からは有名な坂本龍馬像が建っている高台へ歩いて行けます。

よく桂浜に銅像が立っているという情報がありますが、正確には桂浜を見下ろす高台に龍馬像は立っています。

つまり、桂浜から龍馬像へ行くには高い階段を何段も昇る覚悟が必要なんですね。

大汗をかきながらようやく龍馬像に到達。

桂浜の坂本龍馬像

桂浜坂本龍馬像

 

感無量で撮影したのに逆光で龍馬の顔が見えへんがな!

龍馬像は思ったより高い台座に鎮座しており、どこから撮影しても顔がはっきりとは見えまへん(+_+)

坂本龍馬像のある公園には、なんと沖縄と同じアイスクリンが売られてました~。

高知土佐のアイスクリン

 

やっぱり同じ南国。親近感~。

沖縄のアイスクリンと同じ味がしました~。

帰りに長宗我部元親という土佐の戦国武将の銅像も発見。

長宗我部家は一時は四国全土を制圧したにも関わらず、関が原で西軍につき没落。

でも、その元家臣たちが維新を演出したので、元親も溜飲が下がる思いで見つめていたことでしょう。

 

長宗我部元親銅像

長宗我部元親銅像説明の立札

そちらも寄って帰路につきました。

今回の高知の旅は高知市内を中心にとても楽しく、満足の旅でした。

また来たい、できれば住んでみたい。

そんな素敵なところが高知でした。