沖縄県南部地方は、先の大戦で壮絶な地上戦が行われたことはご承知かと思います。

白梅の塔は、ひめゆりの塔と並んで15歳前後の学徒が動員され、日本兵の看護にあたった9つの学徒看護隊のひとつだそうです。

白梅の塔など8つの学徒看護隊は、観光名所ともなっていて全国的に有名なひめゆりの塔と違い、戦後、沖縄県民からも忘れ去られた存在になっていると、独立総合研究所社長の青山繁治さんが指摘されています。

私自身は、忘れ去ったどころか、その存在すらも知りませんでした。

沖縄生まれにもかかわらず、親族家族からも、その存在を聞いたことがこれまでありませんでした。

これは現場に行かねばと思い立ち、本日、白梅の塔を訪問しました。

白梅の塔へのアクセス

白梅の塔は、沖縄県糸満市真栄里という場所にあります。

豊見城の名嘉地という交差点から、331号線をまっすぐに南進します。

331号線は直進すると、南部戦跡めぐりの要所を巡ることができ、平和記念公園やひめゆりの塔のサインも出ています。

糸満ロータリーをさらに越えたところに「真栄里」という交差点があります。

その交差点には、「白梅の塔」のサインがあり、左折するように表示されています。

白梅の塔へのアクセス白梅の塔入り口の石碑

 

左折の途中の交差点脇に「真栄里入り口」の石碑があり、白梅の塔をはじめとする様々な塔の案内板を確認できます。

左折をすると、普通の住宅街が続きます。

それを、直進していくと、右脇に下写真のような白梅の塔のサインが出てきます。

階段脇にサインがあるので、この階段の上が白梅の塔かと勘違いしますが、そうではなく直進という意味です。

白梅の塔サイン

 

写真はバクナー慰霊碑とありますが、立ち寄ってみると、先の大戦で戦死した米兵士の慰霊碑のようでした。

沖縄戦ではたくさんの人が死にましたが、米兵士もはるかに遠い異国の地で、たくさん死にました。

慰霊碑なので遺骨は埋まっていないかもしれませんが、この地は糸満のキレイな海を臨むことができ、もし、ここにいるなら景色も良い、いい環境なのが彼らにとって救いかなと思いました。

再度、乗車し、直進していくと、二股に差し掛かりました。

その道の分かれ目の中央に慰霊碑らしきものを発見し、立ち寄ってみました。

石碑には栄里の塔と書かれていました。

栄里の塔

説明文を読むと、日本兵の慰霊碑のようでした。

数千人の日本兵がここで最後を遂げたようでした。

先ほどの案内板では、白梅の塔は直進となっていましたが、栄里の塔で二股に分かれている感じになっているので、どちらかわかりにくいです。

どちらの道も道なりのような感じで別れているのです。

最初、右側へ道なりに進んでいきましたが、白梅の塔は見当たりませんでした。

そこで、戻って左側の道なりの道を進みました。

少し山道に入っていく感じなので、最初はこの道を避けたのですが、しばらく進むと山形の塔が見つかりました。

白梅の党は、その先にありました。

白梅の塔

白梅の塔で感じたこと

先の大戦から今年で70年。

たった70年前に起きた無残な現実が、白梅の塔には記されていました。

白梅学徒看護隊は、沖縄第二高等女学校の生徒たちで、野戦病院で日本兵の看護をしていました。

彼女たちは看護の専門教育を受けた看護婦の卵ではなく、一般の生徒たちだったようです。

お国の一大事に借り出されたのでしょう。

考えてみたら、私たちは沖縄戦で日本兵を悪者扱いしてきましたが、彼らもまた、赤紙一枚で貼るか遠い沖縄を守るために赴任してきた一般市民だったことに、不覚ながらいまさらながらに気がつかされました。

白梅の塔にほど近いところに「山形の塔」がありますが、そこは当時、山形県から徴収されてきた日本兵の慰霊塔です。

南部にはそれぞれの日本兵の出身地別にこうした違例の塔が存在します。

日本全国から沖縄を守るために借り出され、遠い沖縄の地でその若い命を散らされた日本兵たちが、つい70年前に存在していたのです。

その上、戦争末期に借り出された日本兵は、まさに白梅看護隊と同世代の少年兵、つまり子供たちだったわけです。

戦争という過酷な現場に、まだ子供の時に借り出された、その恐怖は計り知れなかっただろうと想像されます。

白梅の塔案内板

米兵が迫ってくる中、戦況が悪化する中で白梅学徒看護隊に「解散命令」が出されたと案内板に書かれています。

なんと、むごいことでしょう。

年端も行かない幼い女の子が、米兵迫る中、解散と言われて、どれだけ怖い思いをしたことでしょう。

そして、多くが恐怖の中を命を落として行った。

手を合わせて目をつぶっていると、そんな情景が目に浮かび、涙があふれてきました。

彼ら、彼女らを貶めては行けない。

白梅の塔のメンバーの名前が刻まれたボードを眺めていると、私と同じ名前の方が5人も存在していました。

もしかしたら、遠い親戚だったのかもしれない。

彼女たちの根っこがあって、私という人間が存在している。

そんな感情が湧き出てきて、心からの感謝の念が沸いてきました。

白梅の塔案内板

日本兵も看護学徒隊のメンバーも、共に、手を取り合って日本と沖縄の未来を信じて散っていった。

そこには何の私利も私欲もなかったことでしょう。

それなのに、日本兵と看護隊を引き裂き、加害者と被害者のように分けて日本兵を貶める戦後日本の論調は、日本兵のみならず看護隊をも貶める行為だと思いました。

先祖崇拝の強い国で、こと先の大戦に限っては、たった1回負けたという理由だけで先祖を貶めてきた私たちの姿勢を問われている気がしました。

それでも、白梅の塔を取り巻く空気は、私にはすごく清清しく感じられました。

心が清められたようでした。

戦後、奇跡の経済的な復活を遂げた日本ですが、その精神は病に侵食され、卑怯で、不誠実な日本人が増殖している気がしているのは、自らの原点であるはずの先祖を貶め、ないがしろにしてきた結果だと感じました。

彼らのピュアな精神を引き継ごうと、あらためて感じさせられた今回の白梅の塔の訪問でした。